CDRキャンプファイヤ解散/告白

2、3年前に「僕らは高い洋服は着れない/だってCDばかり買ってるから」っていう歌詞の曲を書いた。
「夕暮れの現代音楽」っていうCDに入ってる。
あれは、すっかり数年で過去の歌になってしまった。
確かにあれくらいの時代にはそういった文化の「名残り」くらいはあったかもしれない。
そういう時代を過ごしてきた僕が、書いた歌だったわけだから。
でも今はどうだろ。



CD売れないみたいだねー。


度々いろんな所で繰り返されるこの話題。
ニュースとかですら耳に入ってくる。
僕はあんまり所謂、「業界人!」っていう知り合いほとんどいない方だけど、数少ないそういう人と話す時もその話がここ数年絶対でるような(ポジティブな意味でもネガティブな意味でも、だけど。)
それは只の街の音楽ファンですら集まったら訳知り顔でこういう話題とかしたがっちゃう風潮にあると思う。別にそれが良い!とも、悪い!とも思わないけど。
実際自分で何度か言及しようとして何度も止めたし。自分の中での着地点がよく見えないまま時代を憂う、とかそういうのは嫌だったから。
というのは奇麗な言い訳で、ほんとはなんか怖かったのかもしれない。

でも実際そういう事が起こってるのは否定できない事実だと僕も思う。



最近は、その話に出くわしても当たり前かな、と思うようになった。


だってCD欲しくないもん。
欲しいのは音楽だし。
いや、形はCDでもいいんだけど、別にCDじゃなくたっていい。
んー、やっぱ別にCDじゃないほうが良いかも。場所とらないし。itunesに入れやすい。ipodとかそういうのに入れてどこでも持っていきたい。
本気で聞きたい時はアナログがいいかも。でも、本気で聞くのは音質じゃなくて音楽だから。



と思う。



夕焼け見ながら「Race For The Prize」聞きたいし、誰もいない夜の川沿いで「イノセントワールド」とかも聞きたい。同じ1日にね。
その時にCDか、アナログか、MP3か、なんて問題は夕焼けとか、星満天の夜空には全然太刀打ちできない。


と思う。



僕らはCDじゃない形で音楽の素晴らしさを知る方法をよく知ってしまった。
データでも十分伝わるものってあるんだ。ああ、60年代の音楽をMP3データで受け取っても、やっぱりすごい熱がある。
MP3にエンコードされていく過程でいろんな情報量やバイト数減ってるけど、伝えたい熱はまだそこで燃えてるわ。
って言う事を身にしみて分かってしまった。
手軽さに負けて、強い音楽が弱くなるなんてことがないねっていう。



加えて言うなら、ブックレットとかジャケットくらいの意思表示が無くなっても、他の手段でいくらでもあるような気もする。
ダウンロードサイトのデザインとか、youtubeに更新される映像とか、生で配信されるTwitterとかに意思を感じる。
もちろんCDのそれにも感じるけど、どっちの方が伝わってくるなんて優劣はない。
生々しくてかっこいい方が見たい。
少なくとも僕は、自分の好きな音楽を作った人のそっち側を見たい。そっちの部分が欲しい。
形なんてなんだっていい。
どっちかっていうと既存のCDの形なんか飛び越えて伝えて来て欲しい、とすら思ってるかも。




CDが丁度良いんならそれでも良いやと思うけど、どうやらそうじゃないらしい。
実際、そう思って自分は暮らしてるみたいだ。



というわけでなにかしらの新しい方法で、これからの音楽業界を音楽家として生き抜きたいと思ったり最近してます。
できるとは思うけど、ここでなんか大発表があるわけじゃないのが情けない真実。
まず、フリーダウンロードしてもらってみたりして。足掻いて。





そんな聞く人にとっては当たり前のような、でたらめのような事を考えてます。


どう?
だめ?